近江ミッション(2)ヴォーリズについて知る

昨日の記事 近江八幡の続きになる。

近江八幡の市街地図を見ると、外国人の名前をよく見かける。
その中心人物はウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880年 - 1964年)
今回はヴォーリズ氏について。

ヴォーリズ近江八幡市を拠点に伝道活動するとともに、日本に多くの洋風建築物を遺した。

1900年、建築学を学ぶためコロラド大学に入学
キリスト教の講演を聞いて感動し、伝道師になることを決意
哲学科を卒業後、YMCAで働く

翌1905年、英語教師として日本に派遣され、八幡商業高校に着任
もともと海外に行くことで立身出世を目指す生徒が多い中、若い米国人ヴォーリズは人気者に
放課後に聖書研究会を行い、これも活況となる
逆に、仏教色の濃い地元の反発を招く
2年後に契約更改できず教職を解かれる
このとき建てたYMCA会館を拠点に「近江ミッション」を組織し伝道を継続

その資金調達のため、建築事務所「ヴォーリズ合名会社」やメンソレータム近江兄弟社(後日説明)を創業
米国のコロニアル・スタイルやスパニッシュ・スタイルなど、様々な様式を採り入れ、住宅、学校、教会、百貨店など多くの建築物を手掛ける

1941年に日本に帰化後は、満喜子夫人の姓をとって 一柳 米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗る
米来留は「米国から来て留まる
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ヴォーリズ建築をネットで見たが、私の好みは関西学院大学神戸女学院大学の校舎。
また「けいおん!」の高校のモデルになった豊郷小学校旧校舎群も有名。
豊郷小学校旧校舎群 - 豊郷町観光協会

近江八幡ヴォーリズ建築を見て回った。

石橋邸(旧近江家政塾)
吉田悦蔵氏の妻、清野夫人が婦人教育のために発足させた近江家政塾
商品価値がない 焼き過ぎレンガを使用している

吉田悦蔵邸(左)
八幡商業高校での教え子であり、ヴォーリズを支え続けた吉田氏の邸宅
日本初のアメリカン・コロニアル様式

ウォーターハウス記念館(右)
近江ミッションの方々の住居
共に伝道活動をしたウォーターハウス一家も住んでいた
現在も、宿泊可能

ダブルハウス
近江兄弟社の社員用の住宅だった
住宅2棟が連なった二世帯用建物
現在も住宅として使用されている
市立資料館
近江商人 西村太郎右衛門の邸宅跡に建てられた元八幡警察署を流用
ヴォーリズ建築事務所が改修

ヴォーリズ
少女が持つ器に花を活けられるようになっている
今日もそこはかとなく花が活けてあった

近江八幡協会
ヴォーリズ建築の教会があったが焼失
↓ 今の教会は1983年に一粒社ヴォーリズ建築事務所が建てた

アンドリュース記念館
ヴォーリズ建築の第一号
親友アンドリュースを記念して建てられたYMCA会館
↓ 現在の建物は元の建材を流用して建てられた

旧八幡郵便局
スパニッシュと和風の町屋造りを合わせたデザイン
旧市街地のランドマーク的役割を果たした
土日などは見学可

ヴォーリズ記念館
清友園幼稚園の教師寄宿舎として設計
1931年の竣工時からヴォーリズの自邸として使用された
赤い瓦屋根と白い煙突が特徴

ハイド記念館
1931年、メンソレータムの発明者であり、ヴォーリズ夫妻の支援者であったハイド夫妻を記念して、幼稚園舎・教育会館として建てられた
右の胸像は、ヴォーリズの妻の満喜子夫人

というように、ヴォーリズが来日してから今日までの足跡が色濃く残っている。

このほか、ヴォーリズに関連する建物も見た。

近江兄弟社本社
1階が資料館になっている
ヴォーリズメンタームについて説明されている

資料館のヴォーリズの写真

近江兄弟社中学校・高等学校
近江兄弟社グループ 学校法人ヴォーリズ学園の学校
1937年にヘレン・ケラーが来校

旧市街を歩くと、古い町並みの所々に突如としてヴォーリズ建築が現れる。
ヴォーリズが豪商の家を購入したら、地元商人たちが反発して買い戻したという話もある。
伝統のある町で伝道活動や事業を行うのはさぞ大変だったろうと想像した。

それにしても、近江兄弟社メンソレータムを販売していたが、今はメンタームを販売している。
その点について調べたことは次回に。

(つづく)