昨日の記事の続きで、大津の三井寺等に行った話。
園城寺(三井寺)は琵琶湖疏水のすぐ近くにある。
天智、弘文、天武天皇の勅願により建立された。
天武天皇より「園城」の勅額を賜り、長等山園城寺と称したのに始まる。
俗に三井寺と呼ばれるのは、天智天皇等の産湯に使われた霊泉があり、「御井の寺」と呼ばれていたから。
仁王門
金堂
本尊は天智天皇が信仰されていた弥勒仏
桃山時代を代表する名建築
中の寺宝も見ることができる
閼伽井屋(三井の霊泉)
天智、天武、持統天皇の産湯に用いたという泉が湧く
↓ 龍の彫刻(↑ の正面上部)左甚五郎作
昔、この龍が琵琶湖に出て暴れたため、甚五郎が龍の目玉に五寸釘を打ち込んで鎮めたという
三井の晩鐘
日本三名鐘の1つ 申し込めば鳴らせる(有料)
弁慶の引摺り鐘
弁慶が、鳴らした鐘の音に怒って谷底へ投げ捨てたと言われる
その時のものと思われる傷跡が残る
唐院の三重塔
毘沙門堂
極彩色の堂がぽつんと立っている
西国十四番札所 観音堂
境内から琵琶湖の一部が見えた
昔はビルなどがなく、よく見えたのだろう
観音堂から長い階段を下ると、もう1つの出入口があり、そのすぐ先に長等神社がある。
長等神社(ながらじんじゃ)
667年に天智天皇が近江大津宮に遷都したとき、長等山上に須佐之男命(スサノオ)を祀ったのが始まり。
860年、園城寺の円珍が園城寺の鎮守社とする。
1054年、庶民も参詣できるように長等山上から現在地に移す
明治時代、神仏分離により園城寺から独立
1883年、長等神社に改名
華やかな楼門と落ち着いた拝殿等が対照的
楼門
拝殿
三尾神社
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)がこの地の地主神になられた時のこと
三つの腰帯が尾を引くように見えたことから、三尾神社と名付けられた
うさぎの神紋、手水舎をはじめ、至る所にうさぎのモノがある
去年(うさぎ年)の正月は初詣客で大変賑わったとか
「真向きのうさぎ」がご神紋
以上、三井寺と近くの魅力的な神社を駆け足で回った。
このあと、電車で近江八幡市に向かった。
(つづく)