敬老の日 制定の経緯

(日を間違えていました。失礼しました。)
9月16日は敬老の日
私の両親は亡くなったが、妻の母親は健在。
とは言え、もう長くはないかもと、妻は実家に行っている。

さて、国民の祝日が制定された経緯は様々であり、敬老の日はどのようにして制定されたのか調べてみた。
以下はwikipediaより。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E5%8F%AF%E7%94%BA

多可郡野間谷村(後に八千代町を経て現在の多可町八千代区)で、1947年(昭和22年)9月15日に開催された「敬老会」が「敬老の日」の始まりであるとされる。野間谷村の村長であった門脇政夫「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」という趣旨から開いたもの(中略)。当時は、戦後の混乱期に当たり子供を戦場へ送った親たちの多くが精神的に疲労の極にあった。門脇は、そうした親らに報いるべく「養老の滝」の伝説にちなみ、9月15日を「としよりの日」とし、55歳以上の人を対象に敬老会を開催した。これが全国に広がりを見せ、国民の祝日敬老の日」制定につながった。

1つの村の取り組みが全国に広がり、国の祝日になったということだった。
天皇誕生日憲法記念日のように、「その日」を祝日にするのとは違っている。
このように一地域の行事から生まれた祝日は珍しい。
祝日を全部調べたわけではないが、唯一つかもしれない。

戦争と関係していたとは知らなかった。
当時は、国民の半数が農業従事者で、肉体労働者が7割以上と推定される。
息子が出征し、家に残った親は大変だっただろう。
息子が帰らなかった家はもっと大変だっただろう。

ただ、敬老会の対象者が55歳以上ということに違和感を覚えた。
平均寿命が84歳である現在の感覚で言えば、若すぎるのでは?
しかし、厚生労働省によれば、当時の平均寿命は52歳となっている。
戦時中はもっと低かった。

https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life04/1.html

当時、55歳は敬老の対象にふさわしい年齢であり、また息子が戦争に行った親の年齢でもあったのだろう。

門脇村長(当時36歳)の趣旨を再掲する。
「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」
この中に、老人へのメッセージが込められている。
老人が村の役に立つことを認めている。
さらに、知恵を出してもらうことで老人の社会参加を促し、生きがい作りに繋げるという意味も含まれているのだろう。
門脇村長の敬意と思いやりが溢れている。