先日、若い頃からの知人が久しぶりに訪ねてきた。
頻繁に会うわけではないが、会えば何でも話し合える人だ。
雑談の中で、最近、彼の友人が中規模の会社の社長になったと聞いた。
一方、50代の彼は近々小さな会社に転籍させられるらしい。
そんなことを話した後、彼がぽつりと言った。
「結局、何者にもなれなかった。」
ネットでは「私は何者にもなれなかった、どう気持ちを整理すればいいか?」という相談が多く見られる。
20代、30代の人も悩んでいる。
何者とは具体的にどういう人のことなのか?
これは相談者によってだいぶ異なる。
〇 若い相談者の場合
テレビなどで見かけるベンチャーの社長、スポーツマンやアーティストなど、若くして成功して目立っている人と比較している。
GAFAの創業者や大谷翔平が典型例だろう。
彼らと比べて自分は無名だし、しがないサラリーマンにしかなれなかった。
会社での出世の道も明るくない、という感じ。
(回答) これについては、悩むのはまだ早いと思う。
先日も書いたが、年を取ってから「本当にやりたいことをしなかった」と後悔するなら、やりたいことをやればいい。
失敗して後悔することは滅多にないという。
相談者は背中を押してほしいのではないか?
会社での出世を目指すなら、引っ張り上げてくれそうな上司に気に入られるよう努力すればいい。つまらない努力にはなるだろうが。
〇 中高年者の場合
40歳を過ぎると、会社や社会での評価が固まってきて、職業人生の中でどこまで行けるかが見えてくる。
見えた自分が「何者でもなかった」ときに、自分の人生はこんなものか、若い頃の青雲の志に比べ、随分小さく収まったと落胆する。
(回答) 多くの中高年者がそのように感じているのではないか?
ネットでは、「大丈夫、99%の人は何者にもなっていない」と回答している。
そのとおりだろう。
先ほどの考えと同じになるが、組織の中で出世するには、評価する側に認めてもらう必要がある。
しかし、評価する側が殆ど「何者」でもないのに、評価されることには経済的メリット以外にどれだけの価値があるのか?
出世しなかったのは運が悪かっただけという場合が多い。
これからは、人と比較することは止めて自分の思うように生きればいい。
人の評価が気になるなら、近所の人にあいさつするとか、後輩を育てるといったことのほうが高く評価されるだろう。
そんな偉そうなことを知人には言えなかった。
またいつか再会することを約束して別れた。