原爆投下 アメリカの説明はいかがか?

8月15日は太平洋戦争終結の日。
毎年この時期に、8月6日、9日に投下された原爆と合わせて戦争を振り返るTV番組が放映される。
日本は、原爆投下は非人道的な無差別攻撃(注)として非難する。
しかし、アメリカは原爆投下を人道的に説明しようとする。
・原爆投下により戦争を早期終結
・結果、日本本土決戦を回避し日米双方の犠牲者を最少化
・アジアでの日本の残虐行為を食い止められた など

何か違和感があるので調べてみた。

○ 原爆投下により戦争を早期終結できたのか
 8月6日に広島、9日には長崎に原爆投下
 また、9日にはソ連が参戦
 翌10日の御前会議で降伏について合意
 条件確認のうえ14日に決定、15日に国民に発表
 という微妙なスケジュール
 降伏の決め手が原爆かソ連の参戦かも微妙。
 ただ、日本は中立条約を締結していたソ連の仲介で戦争終結を目指していた。
 軍部は原爆投下を知っても降伏拒否の姿勢を崩さず。
 なのにソ連の参戦を知ったら、降伏拒否から条件闘争(軍の自発的な撤退・武装解除など)へと方針を変えた。
 ソ連の参戦(=仲介不可能)説が優勢か

〇 戦争の早期終結、本土決戦回避により犠牲者を減らせたのか
 本土決戦の犠牲者は100万人を想定していたという。
 一方、原爆被害者をどの程度と想定していたかは不明
 (原爆の影響の想定は0(失敗)から地球滅亡まで様々で、広島原爆の破壊力は想定の4倍だったと言われる)
 実際の原爆投下により広島・長崎合計で21万人が死亡。
 本土決戦の想定犠牲者数が妥当だったなら犠牲者を減らせたと言えるが、100万人という想定は後付けではないか?

○    日本の残虐行為を食い止められたのか
 この点については調べていない。
 なお、日本人は残虐だから原爆を投下してもいいという議論はおかしい。
 残虐な一部の軍人と一般の日本人とは全く別物である。

〇(おまけ)原爆には政治的な意味があるのか
アメリカは欧州、アジアでのソ連の影響力拡大を懸念し、原爆の威力をソ連に見せつけたかった
 これは、アメリカがソ連の署名なしにポツダム宣言を発出(1945.7.26)したことなどに表れている。
 ただ、終戦直後、アメリカが核を背景にソ連を露骨に威嚇したことはなかった。
 また、トルーマン米大統領ソ連の対日参戦を望んでいたことから、ソ連牽制説も中途半端である。
 原爆の威力を見せつけるのなら、日本に投下せずとも自国内の実験で足りたのではないか?

〇 今回の結論
 アメリカは原爆投下による人道的効果「戦争の早期終結、犠牲者の最少化」を狙って実現したと言うが、
・原爆の影響の事前推定が不明確であり、人道的効果を狙ったと断定できない
・同じ理由で、人道的効果を実現できたかも疑わしい

だから原爆投下は拙速だったと思える。
それを回避すべくアメリカは最大限の努力をすべきであった。
そうしなかったら、「兵器を持ったから使ってみたくなったのだ」と言われても仕方ないだろう。

(参考)
https://www.nids.mod.go.jp/publication/security/pdf/2023/202312_07.pdf

(注)無差別爆撃(絨毯爆撃)
1921年、イタリアのジュリオ・ドゥーエ将軍は、
・これからの戦争は兵士・民間人の区別がない総力戦である
空爆でパニックを起こした民衆が早期の戦争終結を要求する
ことから、無差別爆撃論を提唱。
「最小限の民間人を徹底攻撃すれば戦争は長続きせず、長期的な被害が減少する。
 これは遥かに人道的だ。」
1937年4月、ナチスがスペインのゲルニカ空爆
これが世界初の無差別爆撃だと言われる。
絨毯爆撃 - Wikipedia

ピカソゲルニカ