タイトルがすべてを物語っている。
子供の頃、GWの頃に家族で潮干狩りに行った。
近くに遠浅の海があり、アサリがとれた。
海岸の潮が引いたところはごった返していた。
両親は、冷たい水に浸かりながらひたすら砂を掘った。
GWになると気温は高くなるが、水はまだ冷たい。
アサリがとれると、バケツの中に放り込んだ。
私と姉は放置されていた。
潮が引いたところで砂を掘ったが、そこは既に掘り返されていたのか、なかなかとれなかった。
とれないと面白くない。
1時間もするとだんだん飽きてきた。
両親はひたすら水の中で砂に手を突っ込んでいる。
両脚をピンと立てて、腰を曲げ、頭を低くしている。
この姿勢は農作業と変わらない。
私は遊びのつもりで来たが、両親にとっては大事な食料の確保だった。
夕方になっても、両親は頑張って取っている。
農家の出だから作業に慣れている。
私はとっくに潮干狩りを止めて適当に遊んでいた。
どこかで水がはねて半ズボンが濡れて寒くなる。
もう帰ろう、と何度か言ったら、やっと両親は帰る気になった。
バケツの7割くらいアサリがとれた。
数kgくらいあっただろう。
両親は、まあまあかなと言う。
いや、これだけあれば、しばらくアサリ尽くしだろう。
残念ながら母親の料理のレパートリーは多くなかった。
アサリの大部分は味噌汁になった。
今、アサリがたくさんあれば、味噌汁だけでなく、酒蒸し、アサリバター、アクアパッツァ、アサリご飯など、美味しいものがいろいろ楽しめるのにと思う。
という訳で、潮干狩りは好きでなくなった。
レジャーと言うより、仕事だった。
それから20年以上たち、私は子供を連れて潮干狩りに行った。
場所はほぼ同じ。
1時間半ほどアサリを掘った。
アサリはあまりとれなかったが、カニとか海の生き物を発見して、子供も結構楽しんでいた。
暖かいうちに、子供が飽きないうちに引き揚げる。
楽しい思い出を持ち帰る。
これぞレジャーだろう。
そして、また行きたいと子供が言う。
それで自分も嬉しくなる。
ああ、GWっていいなあとしみじみ思った。
それから更に月日が流れ、次は孫と行きたいと思う。
まだ見ぬ孫。
いつになることやら。
(余談)
以上の文章のタイトルをAIに考えてもらった。
まだ人間はAIに負けていなかった。