努力は報われるのか? に関する私見

弘兼憲史氏の「人間交差点」は人間ドラマを集めた秀逸な作品だと思う。
その中で、よく覚えている話がある。

主人公は才能に恵まれた作曲家。
自分を過大評価し、余裕で仕事をこなしていた。
一方、彼のライバルは、彼ほど才能に恵まれなかったが、地道に努力し結構いい作品を生み出していた。

あるとき、ミュージカルの楽曲の選考があり、自分の曲が選ばれると思っていた主人公はライバルの曲が選ばれてショックを受ける。
疑念を抱きライバルの曲を入手して弾いてみた。
確かに素晴らしい曲だった。
ライバルはいつの間にか素晴らしい作品を作れるようになっていた。
自分はうぬぼれていたと気付いた。
それで、また一からやり直そう、地道に努力してみようと決めた。

私は若い頃この話を読み、努力は才能に勝る、地道に努力をしていれば必ず良い結果を生み出すことができると信じて、多少なりとも努力をしてきた。
実際に報われることもあった。

一方、最近こんな話を聞いた。
はてなで読んだか?)
例えば、新年度に野球部に新入部員が入部する。
それから1か月も経てば、誰がスター選手になって誰がならないか、コーチには分かってくる。
才能がない部員がどんなに努力を重ねても、スター選手にはなれない。

おそらくその通りだろう。
これらの矛盾する話をどう整理すればいいのか?
少し考えた。

結論は以下の通り。
例えば10人の選手をランク付けするとする。
・上位クラスになるか下位クラスになるかは才能で決まる。
 下位の選手が上位に食い込むことはほぼない。
 残念だけど。
・ただし、1位になるか2位かは努力で決まる。
 9位になるか10位かも同様。
つまり、おおまかな順位は才能で決まり、細かい順位は努力で決まるのではないか?

ビリギャルは努力の末に慶応大学に合格した。
努力で難関校に入学したという話だ。
しかし、もともと地頭が良かったからではないかと想像する。
母親の学歴は不明であるが、母方の祖母は高学歴、父は名古屋の大学を卒業とされている。
高校でビリになる家系ではないだろう。
ビリギャルの場合、家庭不和で勉強どころでなかったため成績が下がったが、学習塾の指導方針がうまく合って偏差値が上ったということではないか?

才能は生まれつき決まっている。
人生で大事なことは、自分の才能というおおまかな初期条件からどれだけ努力して良い結果を出すかだと思う。
才能があっても世の中に認められなければ成功できない。
人に認められる努力も必要だ。
それも含めて努力には価値がある。
私に努力の大切さ、慢心の恐ろしさを教えてくれた「人間交差点」には感謝したい。