尾畠春夫さんはすごい人

能登地震で被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

災害と言えば、尾畠春夫さんを思い出す。

尾畠さんは、子供のころお母さんが亡くなり、その後ずっと苦労して生きてきた人だった。
だから人の気持ちがわかるのだろうか。
あんなにマスコミに追い回され、時には気分が悪くなる質問をされても取材を断らなかった。
なぜ?と聞かれたら、マスコミの人にも家族がいる、自分が取材に応じなかったら記事が書けない、給料をもらえない、困るでしょ、とのこと。

最近は売名行為でボランティアをする人がいるらしい。
芸能人がほんの少しだけ炊き出しのお手伝いをするのもその一例だろうか。
尾畠さんは、どこの現場に行くときも、赤いつなぎを着てそこに自分の名前を書いて、やたら目立っていたから、売名目的と間違われることも多かっただろう。
しかし、あの赤い服は、自分が被災地で倒れた時にも、分かりやすくして迷惑をかけないためのものだったらしい。
そこまで気が回る人は珍しい。

被災地まで駆けつける車のガソリン代も自前、水も食料も不足しているから持参する、炊き出しをおよばれすることはない。

2018年、「スーパーボランティア」という言葉が流行語大賞のトップ10に入ったが、感想を聞かれて、
「スーパーでもコンビニでもない、ただのボランティアだ」
と答えた。

そんな尾畠さんを尊敬する。この人は、もはや生き仏だ。

(追記)

尾畠さんのインタビューで心に残っているのは以下の言葉だ。
これがボランティアの強い動機になっているのだろう。

「多分、今やってることをウチのお袋はじぃっと(天国から)見てくれてると思う。だから、いつか自分が逝った時に、お袋から思いっきり、背中の骨が折れるくらい抱きしめてもらいたいね。」