マツモトキヨシの創業者と「すぐやる課」

ドラッグストアのマツモトキヨシも、松戸市役所の「すぐやる課」も昔から知っていたが、同一人物(松本 清氏)が作ったとは知らなかった。
マツモトキヨシの前身「松本薬舗」は1932年、すぐやる課は、松本氏が市長に当選した1969年にできた。

松本氏は、店の宣伝と自身の宣伝を兼ねて、薬屋の名前を自身のフルネームに変えたらしい。

商売では、薬屋を軌道に乗せるために様々なアイデアを出した。
商品が少なかった頃は商品を嵩増しした。
お客さんからもらった商品の箱で。
店にない商品でも注文を受けた。
それから大手薬局に買いに行った。

店でサルを飼って子供の関心を集めた。
しかも、サルは危ないという理由で、大人が一緒に来るよう依頼した。

30代で政治家になり、店は奥さんに任せた。
お客様第一の商売人から市民第一の政治家へ。
市長に当選したら、
「市役所は市民のために役立つ人がいる所」、略して市役所と言った。
それを市庁舎の至る所に貼り出し、名詞にも印刷させて職員の意識改革を図った。

そして「すぐやる課を」作った。
役所の仕事は縦割りで、実行までに時間がかかる。
排水路が詰まったとか、ハチの巣ができたという困り事の対応に時間がかかってはいけない。
縦割りを打破し、市民の困り事にすぐに対応する課だった。
すぐ決裁するために市長直属とした。

役所の悪い点は、縦割りもあるが、役人の権威主義、市民より偉いという意識だと松本氏は気付いていた。

例えば、すぐやる課の設立に反対の職員は多かった。
更に、ひらがなの組織名には猛反対だった。
松本氏は、誰にでも分かる名前にしたかった。
職員は、役所の組織らしからぬという理由で反対。
これこそ権威主義だった。
松本氏はそんな職員にお灸をすえたかった。
だから猛反対を押し切ってひらがなの名前にした。

その後、あちこちの自治体ですぐやる課をまねた組織ができた。
名前も、すぐやる課と同様に誰にでも分かりやすいものだった。

時代の先端を行けば、必ず反対する者が出てくる。
正論を言っても、難癖を付けてくる者がいる。
単に前例がないという理由で。
変革者はその逆風に打ち勝つ必要がある。

松本氏は、私の想像とは少し違っていた。
イデアマン、面白くて押しが強いという点は想像通りだった。
しかし、松本氏は体が弱かった。
市民のためになる多くのアイデアがあったが、それを実現するための健康に恵まれなかった。
他人の10倍の実績を作ったから、松本氏は体が丈夫なのだと私は想像していた。
実際は、随分と無理をしていた。
文字通り、命を削って改革を進めていたのだった。

やりたかったことのうち、どのくらいやれただろうか。
1973年、肺炎が引金となり、64歳で亡くなった。
市民のためになることを、誰よりもすぐやる人だった。