置かれた場所で咲きなさい
置かれた場所で咲きなさい。
このフレーズを使う人は結構多い。
私も昔、言われたことがある。
もう少し詳しく知りたいと思った。
それで、渡辺和子氏の本を読んでみた。
渡辺氏は30歳間際で修道院に入り、36歳の若さで大学の学長になった。
慣れない仕事で四苦八苦しているのを見るに見かねて、ある宣教師が渡してくれた詩にこう書いてあった。
置かれたところで咲きなさい。
咲くということは、仕方がないと諦めることではありません。それは自分が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすることによって、神が、あなたをここにお植えになったのは間違いでなかったと、証明することなのです。
「置かれたところで咲きなさい」は、もとは「神が植えたところで咲きなさい」。
Bloom where God has planted you.
これらから宗教色を除いたのが「置かれた場所で咲きなさい」であった。
また渡辺氏は述べている。
境遇を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる。
「現在」というかけがえのない時間を精一杯生きよう。
これは氏にとって生き方の問題だった。
宗教家にふさわしい言葉だろう。
ただ、それを安易に仕事の世界に持ち込むと、意味がずれてくる。
私がそれを言われたのは、職場の不満を言った後だった。
それも、生き方ではなく、仕事のやり方の問題だった。
仕事のやり方は人間が作ったもの。
変えようという、発想と勇気と知恵があれば変えられる。
生まれた家が貧しいとか、難病を持っているとか、自分ではどうしようもない境遇とは全然違う。
と分かっているのかいないのか、「置かれた場所で咲きなさい」と言う上司は、単に「我慢しろ」と言っているに過ぎない。
渡辺氏も「仕方がないと諦めることではない」と仰っている。
「自分の運命は自分で切り拓け」と言うほうがいいか。
そしたら仕事のやり方や職場を良いように変えていくから。
場合によってはその上司もパージするから。
美しい言葉は、学校の入学式とか卒業式とか美しい場で使えばいい。
言葉を聞いた人の魂を揺さぶるだろう。
仕事の世界は、自分たちで作った美しくないルールに満ちている。
それを自分たちで都合のいいように変えていけばいい。
そこが仕事の楽しいところだ。