相変わらず話題が変わる。
先日、受験旅行のことを書いていたら、高校時代の先生のことを思い出した。
その30代の先生(女性)には、高1のとき英語のリーダー(読解)を教えてもらった。
当時、高校生になって英語が難しくなって嫌気がさしていた。
予習しないといけなかったけど、サボっていた。
授業で席順に当てられそうになると、必死で辞書をめくって当たりそうなところだけ予習しようとした。
予習したところが当たるとは限らない。
外れたら悲惨だった。
知っている単語だけをつないで、あとは日本語らしくなるよう訳してみた。
全く違っていた。
知らない単語は、ウッカリのふりをして訳を飛ばした。
そしたら、先生がその単語の意味を聞いてきた。
答えられなかった。
先生はじっとこっちを見るだけで何も言わなかったが、呆れていただろう。
キリのいい所で、別の人に交代させられた。
恥ずかしかった。
訳せないと、先生の次の授業で必ず当たった。
今度は順番にではなく、ご指名だった。
予習していたので何とか訳せた。
そういう生徒がクラスに数人いた。
皆、予習していなくてロクに訳せず、次の授業で指名された。
そして、そこで訳せれば次の授業では当たらないが、訳せなければ次も指名される。
先生は訳せなかった人をノートに控えていたのだろう。
そのしつこさがちょっと苦手だった。
しかし、訳せないと、訳せるようになる日まで当てられるので、必ず予習するようになった。
どんなに疲れていても、もっと重要な数学の予習を置いておいても、リーダーだけは予習した。
おかげで、英語はそこそこできるようになった。
そのしつこい先生のおかげだった。
今ではとても感謝している。
先生は、しつこかったけど、生徒のことを思って嫌なことをしていたのだろう。
熱心な先生だったと思う。
それから10年以上たって、町で先生を見かけた。
先生のことはよく覚えていたが、先生は私のことを覚えていないだろう。
クラス担任でもなかったし。
私が近寄って「先生、あのときはしつこい授業をありがとう」と言ったら、先生は驚くだろう。
しつこいが余計だし。
だから声はかけなかった。
心の中で、先生、ありがとう!と言うだけだった。
(補足)
高1のとき、教科書の最初に、アメリカ人の daily life(日常生活)の記事が載っていた。
牛乳屋さんとか、新聞屋さんとかが出てきた。
私はそれを dairy life (酪農生活)と勘違いした。
牛乳屋さんが出てきたし、間違いないと思っていた。
それが英語の最初のつまずきだった。